紅茶とイギリス2「紅茶博物館」

紅茶とイギリス2

「紅茶とイギリス」の項は1ページに収めるにはボリュームが多かった為、2ページに分けてご紹介しています。
「その1」をご覧になられていない方は、できれば、そちらを先にご一読ください。

ティークリッパー

貿易が自由化され、アメリカをはじめとする各国が清と通商条約を結んだ事で、いかに早く中国からイギリスに茶葉を届けられるかという競争が始まりました。
ここでアメリカの新型船「オリエンタル号」が大いに活躍し、香港から95日という当時としては驚異的なスピードでロンドンに到着し、通常の2倍の値で取引されるという事が起こりました。
これにより、茶葉を運ぶ船「ティークリッパー」の競争が激化し、多くの名勝負を生みます。
現在でもイギリスにある「カティーサーク号」はこの時に作られた船ですが、進水した時には、既に帆船から蒸気船へと時代は移っており、スエズ運河が開通した事も重なって活躍の場は殆どありませんでした。

スエズ運河の開通

1869年、11月17日に歴史的にも大変、大きな出来事が起こります。それは「スエズ運河の開通」です。
この運河の開通により、ティークリッパーと呼ばれる茶葉を運ぶ帆船の時代は終わりを告げます。
帆船の時代が終わった理由は、このスエズ運河は帆船での通過を許可していなかった事にあります。帆船でこの運河を通過すると風向きによっては運河内で立ち往生したり、帆船は進む為に帆を張る必要があるので、接近などによる事故が避けられないと考えられたからです。
では、この運河はどのような船の為に作られたかと言うと、当時、最先端の動力である「蒸気機関」を搭載した「蒸気船」です。
スエズ運河を通る事によって、得られる時間短縮はティークリッパーにとってはあまりに大きいものでした。当時、喜望峰をまわるルートでロンドンから中国まで行くには90~100日を要したのに対し、スエズ運河を通るルートで移動すれば、なんと一月程度で到着する事ができたからです。この事が決定打となり、帆船(ティークリッパー)の時代は終わりを告げます。そして時を同じくして中国からのみ買っていた紅茶の茶葉にも変化が訪れます。
インドやスリランカで栽培に成功した「アッサム」の出現により、イギリスの茶葉の輸入は中国からインドやセイロンへと移行していく事になります。

ジェームス・テーラー

スコットランド出身のイギリス人、ジェームス・テーラーはコーヒー栽培の為にセイロンへと渡った人間の一人ですが、彼がセイロンに渡って10年が経った頃、大きな事件が起こります。
栽培していたコーヒーにサビ病とよばれる病気が蔓延し、コーヒー園が壊滅的なダメージを受けてしまったのです。
それから7年後、テーラーは新たな植物栽培を始めます。紅茶の茶樹であるアッサム種の栽培です。この事はセイロンでは始めての試みで、テーラーは手始めに今でも有名な茶園のひとつである「キャンディ」にアッサム種の苗木を植林します。
通常、茶の木の栽培する為の根付けに成功するまでには10年以上かかるとされていたのですが、なんとテーラーは1~2年で成功します。
テーラーはそれからも良質な茶の木を交配させ、強い品種に育てあげました。
こうして、セイロンのコーヒー園は紅茶園として蘇り、テーラーは「セイロンティーの神様」と呼ばれるようになりました。